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悲しい魔法使い

 彼は、見事な術を使ってみせた。
「雲の味が知りたい」と言えば、のばした指の先で、綿菓子のようにひとつかみ取ってくれたし、「歩くのが面倒だ」と言ったならば、絨毯をくるくる巻くようにして、帰り道を短くしてくれた。
 私は 距離の縮んだ帰り道を歩きながら、手渡された雲を食べてみた。
 雲は、遠く、微かに、クレソンに似た香りがしただけだった。

 彼は隣を歩きながら、煙草を出してくわえ、それからいくつかのポケットへ手をぱたぱたっとやり、「ねえ君、火をお持ちじゃありませんか?」と、私にたずねた。
 私が首を横に振ると、彼は煙草をポケットに戻し、何の色もついていない息をふぅっと吐いて、「あなたが、もしぼくに火がほしいって望んだとしたら、ぼくは、昼なら太陽の輪郭から、夜なら恒星の瞬きから火を取って、ぽっと点けてあげられるんだがね」と言いながら、ポケットに戻した煙草の箱を、収まりのいいように直して、ボタンをしめた。

「なぜ自分の魔法でやらないのですか?」
 私は不思議に思って、そう彼にきいてみた。
「ぼくが? なぜってね……そりゃあね……まあ……」
 彼は、自分でもちょっと困ったというような表情を浮かべ、それから、
「渡し守はね、その船で旅に出たりはしないのですよ」と、ぽつり、つぶやいた。
 私と彼の間に、少しの風が吹いていた。
 彼は「人というものはね、自分がして欲しいと想像できることだけを、他人にできるものなんですよ」と、対岸でも見やるように遠い目をしながら言った。

 そこで私は、煙草に火を点けてもらいたい瞬間の気持ちというものを想像しながら、彼の煙草に火を点けることができないか試みた。
 けれども煙草を吸わない私には、はじめから無理な話だった。
 それを見た彼は小さく笑って「お気持ちだけでもいただきましたよ」と、そう言い残し、先ほど絨毯を丸めるように縮めてくれた帰り道を、びゅん、と元に戻しながら、その道のしっぽに乗って「あっ」という間に遠く去って行ってしまった。