Site Overlay

空に電話ボックス

古い風情のある、新しい町。ここが、これからの私の住む町になる。
駅前はいかにも地方都市らしく、バス停の数は多いものの、砂埃が舞い、バスが加速すると、残される排気ガスの煤が空気に混ざって、花壇の花を揺らしている。
駅前カフェのホットドッグもコーヒーも、その風に混ざって、ひどく埃っぽい匂いになっている。

「ここは昔ながらの町だよ」と、役場の人は言った。
バス停のベンチは日に焼けて色褪せ、街路樹の枝は生い茂りすぎた上に、暑さにも耐えかねたのか、だらしなく垂れ下がり、不揃いのリズムを取って各個に風で揺れている。
どこか懐かしく、それが新しいそれが、私の住むことになった町だ。

手始めに駅前を行き、バス乗り場を通り過ぎる。
タクシーの乗り場も通り過ぎ、さらに先へ進んでいくと、空中に浮かぶ電話ボックスがあった。
手の届かない空中に、何ともつながっていない電話ボックスが浮いているのだから、見に行かないわけにはいかない。
近くまで寄って見上げると、ボックスの中で鳴り響く、電話の音が聞こえてくる。

「あれは孫だね」と、隣に立ったおじいさんがぽつりと言って、会釈をし、バス停の方へ戻って行った。
彼にとっては、見慣れた風景の一部らしい。

私は高く宙に浮く電話ボックスに目を奪われ、次の電話を待つことにした。
日差しは強かった。それを遮るものもなく、腰を落ち着けるベンチもない。
そもそもこの電話についての、案内のようなものもない。

どうやって浮いてるんだろう。電話は、誰がかけてくるのだろう。
するとまた、空中の電話ボックスの中の電話機が、ひたすら単独で鳴り始めた。
「あれね、両親だね」という言葉で振り向くと、犬を連れた婦人が隣に立っていた。「今もって律儀というか、なんというか」
そう言い残し、婦人は犬と行ってしまった。

みな、出る事のできない空中電話を見上げ、そして帰っていく。

「探しましたよ」という声で、私は不動産屋の姿を認めた。
「もう手続きは終わりですので、えっと、鍵はこれで」と、不動産屋の若い男が鍵を渡す。
私はその鍵をポケットに入れ、この場を後にする。

今、空中電話ボックスは、沈黙している。
私は疑問を残したまま、新しい部屋を目指す。答えは、この街のどこにもないんだという気持ちだけ、確かなものになってきている。